第一話 繰り返される日々
「気づけば、今年ももう終わるのか…」
僕、桐山涼介は、オフィスの窓から見える灰色の空を眺めながら、デスクカレンダーの残りページの少なさに溜息をついた。11月も半ばを過ぎ、年末が近づいている。不動産賃貸営業として6年目、数字に追われる毎日が続いていた。
朝のミーティングで掲げられた今月の目標数値が、重くのしかかっている。「ノルマ」という言葉は使わないが、実質的にはそれと変わらない。周囲を見渡すと、同僚たちは電話に出たり、資料を整理したりと忙しそうに働いている。競争は静かだが確実に存在していた。
「桐山さん、今月の成約数はどうですか?」
突然背後から声がかかり、僕は思わず背筋を伸ばした。振り返ると、中村部長がコーヒーカップを片手に立っていた。50代半ばの彼は、常に数字で結果を求める典型的な上司だった。その鋭い視線を受け、僕は苦笑いを浮かべる。
「まだ3件です。あと2件は内見までは進んでいるんですが…」
僕の言葉を途中で遮るように、中村は首を横に振った。
「でも決まらないんでしょう?それじゃあ意味がないよ。桐山君、君は物件の説明は上手いし、知識もある。でも最後の一押しが足りない。これは厳しい言い方かもしれないが、共感力の問題かもしれないね」
そう言い残して、中村は別の営業マンに声をかけるために離れていった。僕の机の上には、今週末に案内予定の物件資料が積まれている。これらをどう提案すれば、お客様の心を動かせるのだろうか。
昼休みも返事待ちのメールをチェックし、午後は電話営業に追われ、気がつけば外はすっかり暗くなっていた。帰宅時間になり、僕はスーツの上着を羽織って会社を出た。
帰り道、冷たい雨が降り始めた。急いでコンビニで買った傘を差しながら、駅へと急ぐ人々の流れに身を任せる。かつては「お客様の人生の大切な選択をサポートできる、やりがいのある仕事だ」と情熱を持って始めたはずの仕事。いつからこんなにも虚しくなったのだろう。 電車の中、僕はスマホで自動生成される通勤ルートの記録を見つめた。「今日もお疲れ様でした。いつもの経路で33分の通勤時間でした」という無機質なメッセージ。毎日同じ道を、同じ時間に、同じ思いを抱えて行き来している。
アパートの一室に帰り着いた僕は、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、ソファに深く沈んだ。壁に掛けられた写真——大学時代に友人たちと撮った一枚だ。その頃の僕はカメラを手に、街の風景や人々の表情を追いかけていた。写真を撮ることが好きだった学生時代が、まるで別の人生のように遠く感じられた。
「あの頃は、どんな景色も特別に見えたんだよな」
呟きながら、僕は写真の中の自分に問いかけた。カメラを持って街を歩いていた頃の自分は、何を見て、何を感じていたのだろう。そして今の僕は何を見て、何を伝えようとしているのだろう。 テレビの画面に流れるニュースは、景気回復の兆しについて報じていたが、不動産市場は依然として厳しい状況が続いていた。家賃の高騰、求められる条件の厳しさ、そして簡単には決断できない賃借人たち。これらの現実と向き合いながら、どうやって「成約」という結果を出せばいいのか。
枕元に置いた携帯が震え、明日の内見の確認メッセージが届いた。返信を終えた僕は、明日もまた同じ日々が繰り返されることを思い、長い溜息をついた。
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